「文は人なり」。
文筆業に従事するほど、この諺が突く真理を深く体感します。
文は、その人の思考や思想、性格といった人間性を自然と反映します。特に、筆が立つ人ほどそれが顕著に表れます。筆が立つというのは、「自身の考えを文に反映できる」の意ですから、人となりが色濃く出てきてしまうもの自然なことです。ともすれば、文章を読むだけで、筆者と直接会わなくても、筆者のことを理解できてしまうこともあるのです。
ただし、筆者の人となりを見抜けるのは、文筆業に従事している人だけです。常人は、そうは見抜けません。文筆業に従事している人は、「なぜ、この言い回しをこの場面で使ったのか」「どうしてこの言葉を選択したのか」など、文の背景まで読み取ることができるからです。
一見、論理的、または正論を唱えているような文であっても、狡猾的に自身の欲望を満たそうとする文もあります。たった一つの文で、筆者の持つ表の顔と裏の顔が垣間見えてしまうのです。
どこかで聞いた言葉に、「詐欺師の手口に引っかからない方法は、詐欺師の手口を使えるようになること」があります。文章でも同じです。文の後ろにある筆者の人となりを読み取るには、自身が書けるようになるしかありません。
これは何も文章に限った話ではありません。
たとえば、音楽。ギターを弾けるようになれば、今まで何とも思わなかったプロのギターリストの演奏がいかに凄いかが理解できます。
このように、同じ土俵に立ったからこそ、見えてくる世界があるのです。
「文から人となりを読み取る力」。
これは文を書く者に与えられる能力の一つです。
「文章力」を高めることにより「読解力」は、一段と高まります。そして、書くことをしなければ、読み取れない世界が確かにあるのです。